昨年に父が亡くなり、すっかり元気がなくなってしまった母。
珍しく「熱海の番組を見たら懐かしくなった。行ってみたい。」というメッセージから、今回熱海旅行に。
正直、熱海=社員旅行のメッカ、特に面白いもん無いでしょ!?と熱海をなめていた私。
が・・
夕飯
朝食
サクラ
かもめ
オン・ザ・ヘッド
くそ楽しかった。
母と父のなれそめ・・コイバナを帰りの列車で聞いた。
そうそう、私は「ビュー踊り子」が好きだと思っていたが、
最終的に、好きなのは「踊り子」であった「ビュー」の必要はない。
ビューはかっこいい列車が来る。
普通の踊り子は昭和な列車が来る。だけど空いている。宴会好きがいる可能性高し。
帰りの列車は普通の「踊り子」
母から聞いた父とのなれそめ。
どうやって出会ったか?時は昭和42年くらいでしょうね。
母は看護学校生、父は学生、お互い寮に入っていた。
そして父の寮主催のパーティで母の寮も参加することになり、
お互い参加しろ、という先輩の命令で参加することになった。
母は母の父から与えられた、ブルーの服を着て行った(※)。
背が高くスタイルが良い、髪はショート、ブルーの服を着ていた母は若干目立っていたらしい。
※母の母は妾、父は議員さんで超厳しかったとか。その父から逃れたいために看護学校の寮に入っていた。
ダンスを知らない母、
誘いの男性が来る。
1人目の誘いはパスしたが、次に誘われたわが父には好意を持ちOK、
お互いダンスは知らないが、楽しく適当に踊っていた。
すると・・父の先輩が「お前譲れよ」と言う風にやってきて
パートナーが先輩に変わった。
しかし母の気持ちはここにあらず。
「神津(←我が父の苗字)が気に入ったの?」先輩が配慮してくれ、
ふたりはまた踊ることができた。
(先輩やさしい!)
LINEや携帯なんかない時代、お互い呼び出すことができるのは電話のみ。
出会いから2週間後、母は珍しく自分から積極的に父の寮に連絡をとった。
父も母に連絡を取るつもりでいたらしい。
2人は喫茶店でデート。
しかし、マイペースな父は、沈黙の時間も多かったらしい。
門限のある母は、聞きたくても聞けないことを書面にした。
それがその後、お互いの交換日記になった。
・・・東京駅着!
おいおいおい~(*´Д`)